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両子寺奥の院


奥の院本殿

ここも洞穴を覆うように建てられた本殿なので元々は洞穴の奥に仏が安置されていたのだろうと思う。

洞穴、あるいは窪地、凹んでいる場所の事をウト、ウド、ウロ等と言うらしい。
宮崎県海際には、鵜戸神宮、鵜戸神社があり、そこもまた洞穴の中の浄い場所。
大昔の人の生活の場所でもあり、奥津城(おくつき)だったのだろうか。


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洞穴と建物のキワ

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by rin_pr | 2018-01-31 09:36 | 神社仏閣 | Comments(0)

何もかもが苔蒸して


ここを訪れたのは年末で、建物の日陰には多少雪が残っていた。
最近の大寒波でたっぷり積っていると思うけれど・・・
夏に水害があった事からも湿度が高い状態が長く続いたのだろうか、
石仏も注連縄も何もかもが苔蒸していた。


廃仏されちゃったんですかね・・・

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奥の院への鳥居

「権現」とは「仮あるいは臨時に現れる」と言う意味で本地垂迹説等に基づき、仏が神の姿で現れる事。 神仏習合の根幹の思想。
神道でも主流だった吉田神道は教義神道的であろうとした為かかなり神仏混淆だったが、江戸の末期になると神仏分離を唱え古神道に立ち返ろうとする動きがあった。
国学者としての平田篤胤はこの復古神道(平田神道)の大成者と言われる。 ここから幕末、明治以後神道系新興宗教が派生している。
明治元年(1868)3月の神仏判然令(神仏分離政策)や廃仏毀釈(運動)によりこの両子寺もかなり荒れ果てた。
このように「大権現」の鳥居が寺院に残っているのは珍しい。

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by rin_pr | 2018-01-30 10:00 | 神社仏閣 | Comments(0)

鬼橋


六郷満山総持院両子寺(ろくごうまんざんそうじいんふたごじ)、山号は足曳山。天台宗。
国東半島のほぼ中央、両子山(721m)の中腹にあり山頂にかけて山岳修行の霊場が散在する。
修験の道とは別に両子山への登山道もある。

国東半島に散在する六郷の寺院を巡って両子寺に至るのが本筋だろうが
その構造を考えるとまるで須弥山のようだ、と思った。

何度か訪れているのに、今回もまた仁王門を通る参道ではなく鬼橋から入ってしまった・・・あひゃひゃ・・・

鬼橋は千徳坊という力持ちの坊さんが一枚の大石を山から引きろして橋にした、、、らしい。

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鬼橋から入るとすぐに迎えてくれる仁王さん。 この造形が好き。

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by rin_pr | 2018-01-29 10:00 | 神社仏閣 | Comments(0)

宇佐神宮下宮へ


宇佐神宮下宮(御炊宮、みけみや)への道

下宮の祭神は上宮と同じ(上宮の分神)
古くは上宮の祭神に供える御炊殿(おいどの)と言われ、御饌(みけ=食事)を炊く竈殿があったらしい。

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下宮の門

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一乃御殿

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三乃御殿本殿

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亀山神社

祭神は大山積命(おおやまづみのみこと)
上宮がある亀山(宇佐小椋山、八幡神として顕示した応神天皇の神霊が鎮まった場所)の地主神か?

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by rin_pr | 2018-01-28 11:04 | 神社仏閣 | Comments(0)

宇佐神宮


神橋

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大鳥居

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上宮への鳥居

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参道

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上宮西大門

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一乃御殿 祭神:八幡大神(誉田別尊=応神天皇)

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二乃御殿 祭神:比賣大神(宗像三女神=多岐津姫命、市杵島姫命、多紀理姫命  *宗像大社と表記は多少違っている)

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三乃御殿 祭神:息長足姫命(神功皇后)

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食い込んでます・・・

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社伝によれば、
神代に三神の比賣大神が宇佐に降臨。
欽明天皇32年(571年)、応神天皇の神霊が八幡大神としてあらわれ各地を巡幸の後、亀山(宇佐神宮小椋山)に鎮まる。
後の弘仁14年(823年)、応神天皇の母神功皇后を祀る。

八幡の神は応神天皇の神霊と同一視されているが、由来そのものは応神天皇とは無関係とされる。 古事記、日本書紀、続日本紀には記載無し。
北部九州の豪族宇佐氏の氏神だったが奇端や神託が多く、後に大和朝廷の守護神となった。
奈良時代から平安時代にかけて応神天皇と八幡の神が習合したと考えられている。
宇佐神宮(八幡)は八幡大菩薩など神仏習合の発祥とも考えれらており、神宮寺もあった。

天平20年(748年)の宇佐託宣集によれば、八幡の神は「古へ吾れは震旦国の霊神なりしが今は日域鎮守の大神なり」と託宣している。
豊前国風土記(逸文)には「昔、新羅国の神、自ら度り到来して、此の河原(香春)に住む」とある。
震旦国(中国)を発祥の地とし新羅を経由して宇佐に鎮まったと言う事か、、、

この辺りは古代の東アジアの歴史や朝鮮半島南部と倭国の関係性を考えれば導き出されるものがあるように思う。

by rin_pr | 2018-01-25 11:27 | 神社仏閣 | Comments(0)

雨音


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by rin_pr | 2018-01-24 11:20 | | Comments(0)

大分市遠望


別府温泉(鉄輪)から大分市の湾岸工場群方面、朝

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by rin_pr | 2018-01-23 09:50 | | Comments(0)

臼杵石仏 - 4 -


古園石仏の一部 多聞天?

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金剛力士(仁王)像(吽形像)
左側には阿形像があったと推測される

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日吉神社への鳥居

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by rin_pr | 2018-01-22 10:00 | 信仰 | Comments(0)

臼杵石仏 - 3 -


古園石仏(平安後期?)

13体の石仏群。
現在は屋根を掛けて保護しているがかなり荒れ果てていた。

中尊の大日如来は頭部が落ちて台座の上に安置されていたが修復の時に元の位置に戻した。
その為か、リストラ除け(首がつながる)の願掛けをされるらしい。


大日如来坐像

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下部は大雨の際の水などで崩れてしまっている。

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by rin_pr | 2018-01-21 10:00 | 信仰 | Comments(0)

臼杵石仏 - 2 -


ホキ石仏第二群第一龕(平安後期?)

阿弥陀三尊像

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山王山石仏(平安後期)

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中尊釈迦如来坐像

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脇尊

伝薬師如来坐像

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阿弥陀如来坐像

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by rin_pr | 2018-01-20 10:08 | 信仰 | Comments(0)