カテゴリ:神社仏閣( 187 )

愛嬌


目を吊り上げている造作が多い中で、何とも愛嬌のある狛犬? 狛狐?
目尻の下がった人を「三囲(みめぐり)さんの御狐様みたいだ」と言ったとか。


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墨田区向島 三囲神社


by rin_pr | 2018-10-19 08:00 | 神社仏閣 | Comments(0)

味噌を買いに


諏訪大社下社春宮の近くにある万治の石仏

諏訪へ来ると
つい諏訪大社へ行き
つい万治の石仏へ行き・・・

4月の末に諏訪大社本宮へ行っているので、今回で四社参りが成った。
最後の春宮で撤饌(神様に捧げたもののお下がり)の蕎麦落雁を頂いた。
素朴な味で美味しかった。


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諏訪へは、味噌を買いに行くのです。
有名な工場ではなく、昔からの味噌屋があり、そこのが美味しいと思ったから。

最初に訪れた時にはまだ子供だった若主人が結婚し、赤ん坊が生まれ、その子が味噌を桶から袋に詰めてくれました。
あなたのお父さんと同じように、少し不器用で時間がかかったけれど。

そのような家族の営みがネットではなく「そこへ行きたい」と思わせるのでしょうね。

by rin_pr | 2018-07-21 09:23 | 神社仏閣 | Comments(0)

夏を越す


諏訪大社下社春宮から下って川の中州にある浮島社へ。
この日は、夏越の祓いの準備がしてありました。


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毎日毎日暑い暑い、危険、キケーン!と一つ覚えみたいに言うな====っ##と発狂してみる・・・
天気予報の太陽ギラギラマークを見ると、段々ムカついてくる。
テルテル坊主を逆さに吊るそうか、と思う今日この頃。

by rin_pr | 2018-07-20 09:46 | 神社仏閣 | Comments(0)

八咫鏡


諏訪大社下社春宮拝殿


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神社の拝殿に必ずある物と言えば鏡なのだけれど
元になっている八咫鏡(やたのかがみ)について考えてみる。

八咫とは「大きい」との意味で具体的な数値では無いと言われている。
咫(あた)は円周の単位と考えて径1尺の円周を4咫として八咫鏡は直径2尺、円周約147cmの円鏡であるとの説もある。
この根拠になっているのは後漢の「説文解字」にある「咫、中婦人手長八寸謂之咫、周尺也」らしいが本当の処は分からない。
が、弥生時代後期~晩期にはこのサイズの鏡が存在していたのは遺跡から発掘されている。(Wikipedia , 他)

現在、伊勢の神宮に奉安されている天照大神の御神体としての鏡は何度か内宮の火事で失われて改鋳されてもいるので
オリジナルがどのようなものだったのかは分からない。
鎌倉時代に成立した伊勢神道、渡会神道の教典である神道五部書の一つ「伊勢二所皇太神御鎮座伝記」によれば
「八頭花崎八葉形」の大きな鏡だったらしい。(大型内行花文鏡)
ただ、この形は8世紀の唐式鏡なのでオリジナルは少なくとも(宗教性を含め)三角縁獣文寄りの漢式鏡ではなかっただろうか。

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日本へ鏡が入って来たのは稲作を持ってきた渡来系の人たち以後なので紀元前9世紀以降。
(彼らは稲作と一緒に金属器も持ってきた。その中には武器や鏡も含まれる。)

紀元前4世紀頃には朝鮮半島経由の多紐細文鏡が現れた。(複数の紐と細かな幾何学模様)
紀元前108年に漢(前漢)は朝鮮半島の直轄地楽浪郡(現在の平壌辺り)を設置し、以後、日本に漢の影響が波及する。
その中には漢式鏡がある。これは8世紀の唐式鏡が普及するまで日本の鏡の基本形になる。

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漢の鏡について。

鏡の材質は銅、鉛、錫の合金(青銅)で錫の割合が高ければより白く輝く。
その性質から月日や宇宙の象徴になって行く。
背面には神仙、玄武・青龍・朱雀・白虎などの四神や霊獣、
後には天地や陰陽を整える西王母・東王公、樂聖伯牙等が表現される。

樂で陰陽の調和を図るのは孔子の思想にもあり、彼は楽譜を作っている・・・はず、、、
(日本に伝えられた雅楽の元でもあるが、日本の雅楽は孔子や天地に捧げるものよりは宴会の樂の趣が強い。)

神仙などの他に銘文が添えられている。
材質(良品)、神仙や四神の説明、工房、吉祥句(子孫繁栄、官位が上がる、等々)、
その他に普及品では価格の入っているもの、民間に流布した恋愛詩を入れたものがある。
遠い地に赴任した夫を想う妻の心を表現してみたり。

漢では鏡は当初、政府の運営する工房で作られた官製品だった。後には独立系工房もできた。

日本では三角縁神獣鏡より画文帯神獣鏡が珍重されたようで、「倭人が好むから」との理由で
わざわざ型を起こして製作したりもしたらしい。古い鏡から型取りした?

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卑弥呼の時代は中国大陸では漢末、それこそ三国志演義の曹操や諸葛孔明や劉備が活躍していた頃なので
たかが鏡1枚でも銘文まで含めて背景を読み解くと面白いと思う。

by rin_pr | 2018-07-19 12:11 | 神社仏閣 | Comments(0)

注連縄


諏訪大社下社秋宮

神楽殿の注連縄

どこかで見た形だと思ったら、出雲大社拝殿の大きな注連縄に似ている。
ただ、出雲大社のは「左本、右末、左綯い」で一般の神社とは異なるらしい。
ここのは「左綯い」だけれど「左末、右本」?
(一般的に神道では右が上位で左が下位と考えるが、出雲大社では左が上位であるため。)


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神楽殿狛犬の尻尾

この様なモフモフ尻尾が多い中、山形県高畠地方の安久津八幡神社にある古い石の狛犬は普通の犬の様な細い巻き尻尾で体に沿って彫られている。
高麗式と言う人もいるが「この辺りで飼われていた高安犬を模したもの」の方が物語性はあると思う。 近くには「犬の宮・猫の宮」もある事だし。


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拝殿

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by rin_pr | 2018-07-18 09:26 | 神社仏閣 | Comments(0)

水の神様


諏訪大社下社秋宮

手水舎?の龍神は温泉を吐いている。
上社本宮にも、手水舎ではないものの境内に温泉が湧き出ているので
さすが中央構造線と糸魚川静岡構造線がクロスしている場所だなぁ・・・と思うのです。
伊豆の修善寺にも温泉成分分析表付きの手水舎(飲用可)があるから、日本各地に温泉を吐いている水の神様がいるのでしょうね。

造作が大きいのでドヤ顔に見える(笑)

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by rin_pr | 2018-07-17 09:40 | 神社仏閣 | Comments(0)

大樹の森を夢想する


諏訪大社下社秋宮


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諏訪湖の辺りは以前も書いたように、高地縄文人と稲作を受け入れた低地縄文人の遺跡がたくさんある。
古事記や日本書/紀の神代を100%真実と受け入れるつもりは無いが
この地域の伝説や通底する信仰や文化には色々と考えさせられるものがある。

弥生人が縄文人を駆逐したかのように言われて久しいが、そこは縄文人が稲作文化を受け入れる事で
少なくとも食文化に於いては渡来系弥生人に乗ったと言う方が自然なのではないか。

・・・・・・・・・

縄文人は一体どれくらいの人口があり、渡来人と言われる弥生人はどれくらい流入したのだろうか?

住居跡などから推測すると縄文晩期の紀元前2300年頃は26万人が住んでいたと言う。(縄文文化が続いた沖縄と北海道を除く。)
(初期は7000人程度か? ← イノシシの方が多い!)
ところが、その後の人口は8万人程度まで激減してしまう。

原因は色々考えられるが、そもそも狩猟生活的テクノロジーだけでは26万人が限度だったこと、気候変動で採集する木の実(カロリーが高い)が激減したこと、
地域的には火山の噴火などもあっただろう。
寒冷化すれば木の実が減る → 動物の食料が減る → 動物が減る → 縄文人の食料が減る → 無理をしてでも狩猟、採集する → 環境を破壊する・・・
環境のネガティブスパイラルとでも言うべき状態。

そんなところへ稲作が入って来た。
但し、渡来人は稲作と共に縄文人に免疫の無い病気も持ってくる。 縄文人の人口減にはそんな側面もあるようだ。
(新大陸が「発見」された時、原住民の間にスペイン人がもたらした天然痘が流行して人口をかなり減らしたのに似ている状況だろうか。)
稲作を受け入れた縄文人はまた人口を増やして行く。

渡来系弥生人は紀元前3世紀頃からの1000年間で150万人程度と推測されている。
人類学者のこの見解に対し、考古学者は否定的。
渡来系もY染色体ハプログループで見るといくつかのグループに分かれるので、最終的な出身地は東アジアの各地としか言いようが無い。
グループ毎の人口増加率なども勘案すると5万4000人~11万5500人と推測する説もある。
渡来系弥生人が短期間に大量に流入していないなら、一昔前に流行った「縄文人 vs 弥生人」の論議は無理がある。
弥生人が先住の縄文人を駆逐した訳ではなく、いつの間にか同化していった。
(騎馬民族説も、かつてそんな説もありましたね・・・)
現在は、「弥生人の定義」にはこの稲作文化を受け入れた旧縄文人も含まれている。


余談。
縄文土器と言えば派手な火焔土器をイメージするが、火焔土器は信濃川流域の長岡~山古志村を中心とした地域のものらしい。
その他の地域のものは「火焔型土器」と区別されている。
縄文土器はかなりローカル色が強く、その側面から縄文時代の流通を研究している人もいる。

by rin_pr | 2018-07-16 11:19 | 神社仏閣 | Comments(0)

いにしへ


諏訪大社前宮本殿(拝殿)

諏訪氏大祝家の屋敷があった場所(前宮の下部にある神原遺跡)を含め、上社の祭政一致時代の古い形を残す史跡でもある。
上社本宮や下社(春宮、秋宮)の賑わいに比べひっそりと佇んでいる気配は「いにしへ」を感じさせる。


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本殿を囲む大木

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御柱

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御手洗川上流から湧き出た水眼(すいが)の清流

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※官幣大社などの格付けは明治期に行われたもので戦後は廃止されたが慣用的に残っている。

by rin_pr | 2018-07-15 10:36 | 神社仏閣 | Comments(0)

その時、風が吹いた


諏訪大社前宮


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by rin_pr | 2018-07-14 10:22 | 神社仏閣 | Comments(2)

結ぶ


諏訪大社前宮


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by rin_pr | 2018-07-13 10:00 | 神社仏閣 | Comments(0)