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八咫鏡


諏訪大社下社春宮拝殿


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神社の拝殿に必ずある物と言えば鏡なのだけれど
元になっている八咫鏡(やたのかがみ)について考えてみる。

八咫とは「大きい」との意味で具体的な数値では無いと言われている。
咫(あた)は円周の単位と考えて径1尺の円周を4咫として八咫鏡は直径2尺、円周約147cmの円鏡であるとの説もある。
この根拠になっているのは後漢の「説文解字」にある「咫、中婦人手長八寸謂之咫、周尺也」らしいが本当の処は分からない。
が、弥生時代後期~晩期にはこのサイズの鏡が存在していたのは遺跡から発掘されている。(Wikipedia , 他)

現在、伊勢の神宮に奉安されている天照大神の御神体としての鏡は何度か内宮の火事で失われて改鋳されてもいるので
オリジナルがどのようなものだったのかは分からない。
鎌倉時代に成立した伊勢神道、渡会神道の教典である神道五部書の一つ「伊勢二所皇太神御鎮座伝記」によれば
「八頭花崎八葉形」の大きな鏡だったらしい。(大型内行花文鏡)
ただ、この形は8世紀の唐式鏡なのでオリジナルは少なくとも(宗教性を含め)三角縁獣文寄りの漢式鏡ではなかっただろうか。

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日本へ鏡が入って来たのは稲作を持ってきた渡来系の人たち以後なので紀元前9世紀以降。
(彼らは稲作と一緒に金属器も持ってきた。その中には武器や鏡も含まれる。)

紀元前4世紀頃には朝鮮半島経由の多紐細文鏡が現れた。(複数の紐と細かな幾何学模様)
紀元前108年に漢(前漢)は朝鮮半島の直轄地楽浪郡(現在の平壌辺り)を設置し、以後、日本に漢の影響が波及する。
その中には漢式鏡がある。これは8世紀の唐式鏡が普及するまで日本の鏡の基本形になる。

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漢の鏡について。

鏡の材質は銅、鉛、錫の合金(青銅)で錫の割合が高ければより白く輝く。
その性質から月日や宇宙の象徴になって行く。
背面には神仙、玄武・青龍・朱雀・白虎などの四神や霊獣、
後には天地や陰陽を整える西王母・東王公、樂聖伯牙等が表現される。

樂で陰陽の調和を図るのは孔子の思想にもあり、彼は楽譜を作っている・・・はず、、、
(日本に伝えられた雅楽の元でもあるが、日本の雅楽は孔子や天地に捧げるものよりは宴会の樂の趣が強い。)

神仙などの他に銘文が添えられている。
材質(良品)、神仙や四神の説明、工房、吉祥句(子孫繁栄、官位が上がる、等々)、
その他に普及品では価格の入っているもの、民間に流布した恋愛詩を入れたものがある。
遠い地に赴任した夫を想う妻の心を表現してみたり。

漢では鏡は当初、政府の運営する工房で作られた官製品だった。後には独立系工房もできた。

日本では三角縁神獣鏡より画文帯神獣鏡が珍重されたようで、「倭人が好むから」との理由で
わざわざ型を起こして製作したりもしたらしい。古い鏡から型取りした?

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卑弥呼の時代は中国大陸では漢末、それこそ三国志演義の曹操や諸葛孔明や劉備が活躍していた頃なので
たかが鏡1枚でも銘文まで含めて背景を読み解くと面白いと思う。

by rin_pr | 2018-07-19 12:11 | 神社仏閣 | Comments(0)
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