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常滑焼と言えば朱泥の急須くらいしか思いつかなかったが
実は日本文化の基層を成す、くらい歴史のあるものだった・・・
日本六古窯の一つに数えられている。(瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波立杭焼、備前焼)
平安後期には3000基もの穴窯があった、、、見渡す限り穴だらけ??

奥州藤原氏の拠点、平泉の発掘現場から大量の常滑焼と渥美焼が発見された。
当時から常滑焼は日常の器として使われていたらしい。
900kmもの距離を運ぶのに、陸上輸送は考えにくい。
であれば海上輸送になるが、日本海側と違い太平洋側には海の難所鹿島灘があるわけでどのように回避したのだろう?
かなりの沖合を通った? 部分的に陸上輸送した?




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余談になるが
縄文や弥生土器の系譜に連なる土師器(はじき)は野焼きで焼成温度が低く(500~900℃)
酸素が供給されるので赤みを帯びた柔らかい土器(素焼)になる。
その後、朝鮮半島(主に南部の伽耶)から轆轤(ろくろ)と窯の技術が伝わり
1100~1200℃で焼成された須恵器(すえき)ができる。 硬く青灰色。

飛鳥時代などの役所勤めの官人は、通常は土器(かわらけ)で墨を擦っていた。
硯は隋や唐からもたらされた貴重品であり、地方の官衙にも配布されていたようだが
中央へ報告するような重要文書作成の時しか使わなかったと言う。
まぁ、、、、そうだろうなぁ。

常滑の焼き物散歩道に残る焼き窯はトンネル窯で大量生産に向いているらしい。

by rin_pr | 2018-06-08 10:50 | モノ | Comments(0)
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