夢のまた夢、、、ほぼ悪夢。 唐津城天守閣 唐津城の丘の上から。 織田信長と直接会見したルイス・フロイスの残した書簡によれば 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄、慶長の役 / 壬辰倭乱)は信長の構想に基づいている、と言う事になるのだろうか。 未だになぜこんな無謀な戦をしたのかは推測の域を出ない。 兵站線(ロジスティックス)が長くなれば戦争の維持は難しい。 釜山城の跡も見たが、城と言うよりは砦に近く、落とすのは比較的簡単だったと思う。 朝鮮側であれば食料、物資の調達の道を絶って逃げるのも戦略ではある。 文禄の役は1592年5月24日~ 1593年7月、慶長の役は1597年1月~1598年12月で、それぞれ1年間。 (余談だが、朝鮮半島で唐辛子を倭辛子と言うのは、この戦争時に秀吉軍が凍傷予防の為に履物の中に入れて種をばら撒いたからではないか?) 秀吉が死んで兵を引いた時、前線基地だった名護屋城はどう見えたのだろう。 Wikipediaによれば 慶長7年(1602年)、寺沢広高は唐津城の築城を開始した。 この際に名護屋城を解体し、その遺材を使用した。 これ以降に、二度と城が利用できないように、要となる石垣の四隅を切り崩すなどの作業が行われたが、その理由と時期については明確でない。 地元の人に話を伺うと「名護屋城なんて無い方が良かったんでしょう」と。
by rin_pr
| 2017-01-18 10:50
| モノ
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