考古学の世界


北海道博物館

当たり前すぎて、それが実はスゴイ事だというのに気が付かなかった。
北海道では北から来たマンモスと南から来たナウマンゾウの両方の化石が出るんだった。

マンモス

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ナウマンゾウ

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縄文土偶

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9月17日にUPした「古事記から読み解ける洲羽(諏訪)の事」でも簡単に触れたが
南から来た米を持ってきた人たち(弥生人)は、結局稲作のできない東北北部や蝦夷地へは広がらなかった。
諏訪でも標高が高い土地へは広がらず、高地は縄文人の世界だったらしい。

律令国家の枠組みが整うにつれて奥州も政治的に組み入れられて行く。 征夷大将軍による蝦夷征伐など。
陸奥、出羽の蝦夷のうち、朝廷に服従した人たちを俘囚(ふしゅう)と呼んでいたが、彼らの生活様式は朝廷側の公民とは随分異なっていた。
出羽清原氏や奥州安倍氏は俘囚の長で、移動させられた俘囚ではなく地元に留まり朝廷へ特産物を貢いでいた。
おそらく彼らは縄文人の子孫と考えられるが、やがて弥生人と混じり合っていく。
生活様式も民族も異なるならば言葉は通じないわけで、蝦夷地など縄文世界と和人の世界のフロントあるいは混じり合った部分に
奥州、出羽の俘囚が存在し、交易を担っていた。

蝦夷は勢力を拡大した時期もあったが、本州側ではやがて勢力を失い埋もれて行く。

北海道では縄文時代~続縄文時代~擦文文化・・・と続き、稲作を中心とした弥生時代は無いようだ。
縄文と弥生の分かれ目は稲作が可能かどうか。

ただ、アイヌの人たちが縄文人の直接の子孫かどうかは分からない。
遺伝子のハプロタイプで言えば沖縄の人たちと同じくらい縄文系遺伝子タイプの割合が多い、というだけ。
なお、縄文人が旧石器時代人の子孫かどうかも実は分からない。

考古学って分からないことだらけ・・・
by rin_pr | 2016-09-26 11:39 | モノ | Comments(2)
Commented by umisanjin at 2016-09-26 21:36
古代人、凄いアーティストですよね。
Commented by rin_pr at 2016-09-27 11:06
> 海山人さん

いまだに古代人の呪縛から抜けていないですよね。> アート
縄文火焔(型)土器って「縄文」全体にあったのかと思ったら、実は新潟県山古志村あたりで出土したものだったとか
イメージって怖いものがありますね。
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