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古事記から読み解ける洲羽(諏訪)の事


諏訪大社は日本でも最も古い神社の一つとされている。
興味深いのは、縄文(狩猟文化)、弥生(五穀、稲作文化)、出雲(巨木、青銅器文化)、天孫族(巨木、鉄器文化)が
何層にも積み重なって、それでいて埋もれる事無く伝えられている事だろうか。
考古学と民俗学、それぞれの見地はあるものの基層となる文化をどのように解釈するかは門外漢ならではの楽しみがある。

四脚門

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硯石

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西宝殿(同じ構造の東宝殿もある) *本殿が成立する前の移行期の構造とされる




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御沓石(硯石同様磐座とされる) *ミシャグチ神の依り代としての石柱に似ている

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【古事記(時々日本書/紀)から読み解ける洲羽(諏訪)の事】

古事記神話には、元々土着の神が祭られていたこの地方の中心地(科野の洲羽:しなののすわ)へ
出雲から来た神(建御名方)が国譲りを迫ったとある。(日本書/紀には記載無し)
時系列で言えば、先に出雲を治めていた大国主の一族(便宜的に出雲族とする)が天孫族に国譲りを迫られている。
建御雷(タケミカヅチ)と瓊瓊杵(ニニギ)、経津主(フツヌシ:古事記には記載無し)に追われた出雲族の建御名方(タケミナカタ)が
一族郎党、軍事力共々越の国経由で洲羽に侵入し、ここを治めていた洩矢(モレヤ)一族と戦になり、結果として洩矢は建御名方に服従した。
その後、建御雷(天孫族)が建御名方(出雲族)と戦を起こし、建御名方はこの地を出ない事を約束した。

****追記
   大国主は高志国(こしのくに)へ妻問いに行った、と古事記や出雲国風土記に書かれており、奴奈川姫(ヌナカワヒメ)を娶った。
   奴奈川姫は美しい川との意味もあるが翡翠の採れる糸魚川(姫川)あたりに住んでいた一族と考えられている。
   建御名方の母であり、諏訪大社では奴奈川姫の翡翠御籤がある。これも出雲と越の国の結びつきを伝えている。

天孫族の建御雷と経津主は平定したこの地に留まらず、鹿島、香取まで東進した。瓊瓊杵は西進し日向へ行ったという。
その為、彼らにとって洲羽は通過点に過ぎず定着の文化的痕跡はない。
天孫族は出雲を平定して出雲~越の国など日本海文化圏を通って洲羽まで行き
その後東西に散って行った、ということだろうか。

瓊瓊杵の妻は大山祇(オオヤマツミ)の娘である木花之開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)で、姉の石長比売(イワナガヒメ)と一緒に送られたが
石長比売は送り返された。木花之開耶姫は富士山に祀られ、石長比売は八ヶ岳に祀られた。
大山祇は縄文山岳民の名前なので、木花之開耶姫は縄文民から天孫族の系譜に移された、とも読める。彼女から生まれたのが海幸彦/山幸彦。

この辺りは古事記と日本書/紀*で記載が異なるので出雲国風土記も合わせて読み解くと神話の背景が見えてくるのかもしれない。
風土記と呼んでいる文書は律令政府に提出する為に編纂されたが、
中央政府からは「令」が通達され、それに対する回答としての「解(げ)」が正しい。「風土記」は後に付けられたもの。

*
「日本書紀」は日本の律令制度に則って編纂された「正史」の位置付けであるが、本来は「日本書」であり
「紀」「列伝」「志」の三部作になる予定だったらしい。しかし、なぜか「紀」だけがまとめられた。
(紀の中には解としての風土記に相当するものはほとんど含まれていない。別書として編纂する予定だったのか?)
日本書/紀には日本的漢文ではなくネイティブの漢文が含まれているので帰化人か大陸から来た人が関わっていたと推測されている。
であるなら「漢書」と同じ構成にするのが妥当ではないだろうか。解が含まれるなら「志」になるか?
残りを補完するように六国史が編纂されたが、それ以後は私家本的な記録や日記があるばかりで正史と呼べるものは無い。


【祭神】

<出雲系>
上社本宮:建御名方神 (タケミナカタノカミ) *大国主命の御子神(二男)
上社前宮、下社:八坂刀売神 (ヤサカトメノカミ) *建御名方神の妃

建御名方神の妃、八坂刀売神は伊勢の国の豪族の娘とされるが、この豪族の同族は古くから信濃一帯に住んでいたとされる。
よって、洩矢の一族と建御名方の結びつきが堅固になり洲羽の人々は祝福した。

<土着の神>
ミシャグチ神、ソソウ神、チカト神、モレヤ神、など
上社前宮は御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格が強い。
蛙狩神事は蛇神とされるミシャグチの好物、らしい。


【神奈備(かんなび)、神体山】

上社本宮:御山(守屋山) ←山岳信仰 又は拝殿後背林
上社前宮:本宮の摂社の位置づけである為か、本殿がある
下社秋宮:一位の木 ←樹木信仰(湛木:たたえのき) *神が現れる聖なる木
下社春宮:杉の木 ←樹木信仰(湛木:たたえのき)


【磐座(いわくら)、神籬(ひもろぎ)】

上社本宮の硯石(すずりいし)は神が降臨する磐座とされるが、非常に古い自然信仰に属する。

「東西宝殿の中央、四脚門の中央、天滴舎を通して一直線に並ぶ。
この軸線に対して御柱は右前を一之柱として左回りに四本立っている。(田中充子氏「古社叢の聖地の構造」)」

追加するなら、神楽殿もこの直線状に並ぶ。まるで磐座の硯石に神楽を奉納するように。

この構造からすれば、神体山としての守屋山よりも先に巨岩に対する信仰があり
磐座から神を降ろして依り代である神籬に移して祭の中心にした古神道の名残のように思う。
むしろ「神道」という意識も無かっただろう。
三輪山のように山が神体山とされているなら禁足地であるはずだが、
守屋山は禁足地ではないし、守屋神社の奥宮の祠があったりするので上社本宮の神体山かどうかは疑問が残る。
四脚門の中央と硯石を結んだ延長上に守屋山があるにはあるのだが、山の頂上を本宮や麓から見ることはできない。


【上社本宮の謎】

上社本宮は鳥居をくぐった正面ではなく、境内地の左(東)へ行った奥に拝殿があると言う珍しい構造をしている。
神体山とされる守屋山は鳥居の正面方向奥(南)にあるので、拝殿とは方向がずれている。
つまり、本宮の拝殿は神体山の守屋山ではなく、摂社とされる前宮を遥拝する方向を向いている事になる。
前宮は諏訪の祭祀発祥地と言われるが、本殿脇に諏訪神の神陵跡とされる伝承地がある。
そこからも神体山ではなく本宮より古いと思われる前宮の神陵を遥拝していたのではないか?
あるいは、太陽信仰か?

また、守屋山ではなく奥宮(奥院)のある八ヶ岳を向いているとする人もいるが
八ヶ岳に諏訪大社の奥宮があるかどうかは未確認。

これらから、上社本宮には磐座としての硯石と拝殿へのほぼ直交する2本の軸線があるように思う。


【狩猟文化、稲作文化、巨木文化】

狩猟文化=縄文、稲作文化=弥生としているが、明確に線引きできるものでもなく
栽培する縄文人や狩猟する弥生人の痕跡も遺跡から発掘されているので住み分けつつも混じり合ったと考えるのが妥当かもしれない。
ミシャグチなどの土着の神が縄文の神かどうかはよく分からない。狩猟文化の神である可能性は高いが。

諏訪の周辺にもあるが、縄文遺跡にはストーンサークルがあり何らかの祭祀が行われていたらしい。そこに立っているのは石の柱。
少なくとも諏訪地域の石の柱はミシャグチ神と同一視されている。
しかし、ミシャグチは蛇神(=水神)とされ、水が必要なのは農耕文化なのだが
縄文人が完全に狩猟採集だけで生活していたわけではないし、定着した縄文集落もある。栗やドングリ栽培の痕跡もあるらしい。

では、諏訪大社の御柱はどこから来たものか?

天孫族が日本を制圧する以前は、出雲と洲羽には密接な交易があった。
だからこそ出雲を追われた建御名方は洲羽へ逃げたのだろう。その身に危険が迫った時はまったく未知の土地へは逃れない。
出雲を中心とした文化は特徴がいくつか挙げられるが、その一つに「巨木を立てる」がある。
古代の出雲大社も巨木文化に属している。千木までの高さが十六丈(48m)。但し、巨木文化は天孫族(+アマ族)の文化とする研究もある。
能登半島、金沢、糸魚川市の縄文後期遺跡からは巨木信仰の痕跡が発掘されているようだ。
そのような意味では、諏訪大社の御柱は縄文後期の日本海文化圏に属するとも考えられる。

福岡市志賀島あたりが本拠地の安曇族は海沿いに東進し最終的に長野県安曇野に住みついたという。(時期不明)
日本海側の文化圏は想像しているより広がっている。
だからこそ、諏訪の黒曜石や糸魚川の翡翠(硬玉:ヒスイ輝石)が思わぬ場所から発掘されたりもする。


【余談】

大祝(諏訪氏)は神体と同視(現人神)されていた。
あまりにも古い時代には、現人神は人の力では解決できない災厄が起きればその身を生贄とする為に存在したとされる。
だからこそ尊いとされる家系でもある。
アジアに限らず人を生贄にする習慣はあったようだが、この国へはいったい何時頃、誰が持ち込んだのだろうか?
中原の国々、朝鮮半島、或いは中南米にもあるので自然発生的?
白川静氏の研究によれば、中国古代の金文には祭祀と犠牲を意味する文字が多いという。
人の犠牲もそうだが「献」など「犬」が含まれる文字は「犬の犠牲」を意味するようだ。

出雲族も天孫族も稲作だけではなく、五穀栽培をしていた。
古事記での素戔嗚尊と食物神である大気都比売神(オホゲツヒメ)の話、日本書/紀の月読命(ツクヨミ)と保食神(ウケモチ)があるが
同様の話はアジア系神話にはいくらでも出てくる。
縄文土偶のビーナスは地母神ともされるふくよかな女性像で且つ破壊されているところから
アジア系神話にある五穀の起源と似た神話の痕跡ではないか、と考えている人もいる。(縄文中期)
穀物栽培がどこからもたらされたかについては色々な説があるが、中国大陸南部と朝鮮半島説が有力。
出雲族は朝鮮半島に起源があり、天孫族は稲作を伴って大陸南部に起源があるとする人もいるが(気候の関係から古代朝鮮半島では稲作が難しい)
であるなら、出雲の国譲りはこれらの集団の勢力争いという事になるのだろうか。「弥生人」と一括りにはできない。

by rin_pr | 2016-09-17 11:16 | 神社仏閣 | Comments(0)


神社の手水舎で水を吐きだしているのは龍の意匠が多いように思う。
龍は水を守護する神聖な存在だからといわれるが、想像上の生き物でイメージとして蛇(大蛇)と混同されたりもする。
水道の蛇口はそこから来ているらしいが、ではこの手水舎の水を吐きだしている龍は「蛇口」なのか、、、、??

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by rin_pr | 2016-09-01 09:40 | 神社仏閣 | Comments(0)

語る


諏訪大社上社本宮


背中で語るんだ、背中で!

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どやぁ!

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な~に言ってんだか・・・

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by rin_pr | 2016-08-31 09:27 | 神社仏閣 | Comments(2)

稲作


諏訪大社の紙垂(しで)は吉田流といわれるもの。
であれば、この形になったのはだいぶ時代が下って来る。(吉田神道は室町時代に成立)

紙垂については色々な解釈があるが、〆縄に下げて清浄な場所の結界を表すものであれば祭の時などよく目にするだろう。

この形については稲妻を表し五穀豊穣を祈るものとされている。
〆縄は雲、垂らしている稲藁は雨、紙垂は稲妻、らしい。

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高千穂神社の場合は紙垂の色は白ではなく緑と赤になる。
緑は水の神と天上界を表しており格式が高く、赤は火の神と大地を表しているという。 形は諏訪大社同様吉田流。(伊勢流かと思っていた・・・)

諏訪地域は縄文遺跡も多く、稲作を持ってきた人たち(弥生系?)のように稲を耕作するまで時間がかかっている。
諏訪湖の湖畔には稲作の人たちが住み、霧ヶ峰の高原に縄文遺跡があるように高地に住む人たちと混じり合うまで住み分けがあったようだ。
稲作をする縄文人もありだと思う。

諏訪湖自体、湖面の変動が大きく湖の大きさが時代によって変わっている。
そのような中で稲作に適している土地はそれほど大きくは無かっただろう。 洪水の起きる場所は使えない。
諏訪湖からの唯一の出口(天竜川起点)は岡谷市の釜口水門になるが、水門も無かった大昔には水量のコントロールはできなかった。
よって、湖畔にある時代毎の遺跡分布を検証していけば当時の諏訪湖の大きさも推測可能と思う。
by rin_pr | 2016-08-30 10:12 | 神社仏閣 | Comments(0)

お・も・て・な・し


諏訪大社上社本宮、神楽殿

日本一の大太鼓が印象的な神楽殿。 牛の一枚皮で張られているらしい。
一年に一度、元旦の朝に鳴らされると言う。

神楽殿と言うもののここでは神楽が奉納される事は無いようだ。
昔は奉納されていた?

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神社の祭は本来は神様をおもてなしする為にあった。 神饌も同様。
尤も、今では神饌を降ろしてから行う直会(なおらい)が祭の楽しみになっているかも知れない。

祭や祈りの詳細を見て行くと、拝殿の前で鈴を鳴らすのは神様に「来たよ!」と知らせる為だったり
現代の感覚では荒っぽかったりするので、神と人との距離感が随分違うものだったように思う。
by rin_pr | 2016-08-29 10:42 | 神社仏閣 | Comments(0)

温泉


諏訪大社下社春宮の境内にある手水舎

上社本宮にもあるが、温泉水が湧きだしている。 結構熱い。
説明によれば諏訪温泉の源泉らしい。

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諏訪湖で温泉と言えば上諏訪温泉郷が有名で、間欠泉もある。
この辺りは静岡糸魚川構造線(フォッサマグナ)と中央構造線が交わっており、諏訪湖は活断層の活動で土地が下がった(陥没した)場所に水が溜まった。
八ヶ岳の麓、釜無川が流れている地形は断層の痕跡であり、松本平など長野県中央部の平地も同様に断層の活動で下がったという。
大昔の火山の噴出物が断層に引き裂かれて平地の西と東に分布していたり。
飛騨山脈(北アルプス)の山々は岐阜側に比べ長野側は急峻なのも、壮大な断層活動(造山活動)の結果なのだろうか。

断層が活断層か死んだ断層かは、噴出する物が温泉か鉱泉(冷たい)かで判別できるようだ。
八ヶ岳の登山口に「赤岳鉱泉小屋」があったような。 であるなら、八ヶ岳を造った断層は今では活動を終えていると言えるのだろうか?
国道20号線の長野県から山梨県に入った辺りに「白州塩沢温泉フォッサマグナの湯」があった。 ・・・フォッサマグナですか・・・
by rin_pr | 2016-08-28 09:44 | 神社仏閣 | Comments(0)

苔むす


諏訪大社下社秋宮の森へ続く階段

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by rin_pr | 2016-08-27 10:21 | 神社仏閣 | Comments(0)

さざれ石


諏訪大社下社秋宮にあるさざれ石(石灰質角礫岩)

各地のさざれ石を最初に見た時の印象は「砂利を混ぜたコンクリート」だった。
まさに、石灰質角礫岩としか言いようが無い。 こんな塊の何が貴重なのだろう?・・・と。
人間が手を加えるのではなく自然にできた塊なのは不思議ではあるが
私自身の鉱物趣味で言うなら、どう評価してよいのか迷う。

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by rin_pr | 2016-08-26 10:02 | モノ | Comments(4)

祈る


諏訪大社本宮祈祷殿にて

工事関係者とみられる人たちが参拝していた。

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by rin_pr | 2016-08-25 10:06 | 神社仏閣 | Comments(0)

神紋


諏訪大社の神紋は梶の葉紋(根梶、根あり梶)と言われるもの。
3枚の梶の葉に、上社は根が4本で下社は5本。
諏訪大社上社の大祝(おおはふり、おおほうり)から武士化した諏訪氏もこの紋を使っている。

上社の神紋

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下社(秋宮)の神紋(拝殿の御簾越しなので見えにくい・・・;)

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梶の木(上社)

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※大社、中社、小社等の区分は延喜式に倣って明治時代に作られたもの(近代社格制度)で現在は使われないが、習慣的に大社(旧社格)の名称は使っている。
 1946年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の神道指令により神社の国家管理が廃止されると同時に廃止された。

※「大社」を「おおやしろ」と読むなら元々「出雲のおおやしろ」の事で、格付け制度そのものを神に対して失礼として出雲大社は拒否している。
 出雲大社は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。

※「神宮」とは皇室の祖先神を祀った神社であり地名を付けて呼ばれる。例えば、伊勢神宮は「伊勢の(伊勢にある)」神宮となる。
by rin_pr | 2016-08-24 10:01 | 神社仏閣 | Comments(0)