タグ:中尊寺 ( 5 ) タグの人気記事

新緑


旧覆堂

c0252695_09282672.jpg





かんざん亭

c0252695_09283130.jpg





モミ
天然記念物
目通周 約5.10m、目通径 約1.60m、樹高 約20m
推定樹齢 350~400年

c0252695_09293139.jpg





弁財天堂

c0252695_09284485.jpg





弁慶堂

c0252695_09284941.jpg





階段状の樹の根

c0252695_09331224.jpg





c0252695_09330581.jpg


by rin_pr | 2017-05-22 09:46 | 神社仏閣 | Comments(0)

大日堂


関山 中尊寺 大日堂


大日如来

c0252695_10164190.jpg





中尊寺の御堂は金色堂(撮影禁止)を除いて、質素なイメージがある。

c0252695_10164627.jpg



彫刻された仏の姿に好き嫌いを言うのは不遜に違いないが、この大日如来は感覚にフィットする。

by rin_pr | 2017-05-21 10:28 | 神社仏閣 | Comments(0)

祈ること


関山 中尊寺 峯薬師堂
薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩


c0252695_10392202.jpg





狛犬、ではなく蝦蟇。

c0252695_10501116.jpg





最近、説明文を撮っておく事が増えた・・・(撮ってそのまま、編集無し;;)

c0252695_10404895.jpg





薬師如来に祈るものは、勿論、病気平癒だったりするが目病みの回復がピンポイントで多いように思う。

孫引き&ざっくりした部分引用で申し訳ないが、毎日新聞2010年12月8日の「余録」から。
江戸時代に日本へ来た西洋の医師たちが日本人の眼病の多さに驚いた、らしい。
原因として、出島の医師を務めたツンベリーは「農民らはよく赤目になり、ただれ目になる。これは炭の煙や便所の蒸発気のためだ」と記している。

便所の蒸発気がどれほど赤目(結膜炎?)の原因になるのか分からないが、炭の煙ならそうだろうと思う。
目の表面がウズウズしたらつい擦ってしまう。
(どの物語か忘れたが、昔の児童文学に「目に入った異物を流し取るのに母乳を使う」という場面があり、印象に残っている。)
それに加え、白内障、緑内障・・・加齢によるものより生活環境に起因する眼病と失明は多かった。
衛生観念が現在とはまるで違う状況であり、予防医学の知識などほとんど無かった時代に頼るのはやはり神仏。

by rin_pr | 2017-05-20 10:49 | 神社仏閣 | Comments(0)

中尊寺本堂


関山 中尊寺本堂

金色堂は別格ではあるものの、寺として最も重要なのは本堂


c0252695_10174501.jpg





本尊釈迦如来坐像

c0252695_10175045.jpg





c0252695_10180354.jpg





もう6年、まだ6年・・・

c0252695_10181351.jpg


by rin_pr | 2017-05-19 10:25 | 神社仏閣 | Comments(0)

武蔵坊弁慶


関山 中尊寺、弁慶堂 (平泉)

c0252695_11193456.jpg





c0252695_11194082.jpg





c0252695_11194518.jpg



武蔵坊弁慶が実在の人物かどうかは分からない。
個人としては架空だが、何らかの叡山の僧兵に関連した人物あるいはグループが源義経に加担した可能性はある。
平清盛は叡山や南都焼打など旧来の宗教勢力とは対立があったので、平家滅亡には種々の感情があった、、、、か?
園城寺または叡山の僧、常陸坊海尊であればいくつかの古い物語(源平盛衰記、義経記、平家物語)で言及されているが弁慶は描かれていない。
もっとも、弁慶ブームが起きたのは江戸時代なので常陸坊海尊が元になっているか?(「弁慶の家系図」も流行したらしい。)

奥州へ逃亡する際、歌舞伎では修験者一行に偽装しているが演出だけなのだろうか。
逃亡のルートを検討すると北陸道経由なのは確かだろうし、その先に修験道の聖地出羽三山がある。
都の近くであれば熊野も修験道の聖地であり、余談になるが神仏習合は修験道(山岳信仰)に起因する。
義経は最初の逃亡先として吉野へ行ったのは間違いない。吉野と熊野は地理的に近い。
修験道の歴史や残されているものを見る限り、修験者ネットワークの様なものは存在していたと考えられる。
義経一行はこのネットワークに乗った?
人の往来がいつから不自由になったのかの検証は必要だと思う。不自由だからこそ、信仰の旅は貴重。

日本海側は古代より交易の先進地域だった。
航続距離の短い古代の船にとって能登半島は大きな障壁だったが、船は山を越えたらしい。
瀬戸内海は平清盛が音戸の瀬戸を開削するまで海上交易のメインにはなり得なかった。多島海は比較的大きな船にとって難所でもある。
飛鳥や平城京、平安京へは主に日本海側から交易品が入って来たと言う。
奥州からも日本海航路で金、銅、アイヌとの交易品が運ばれた。陸路と海路のどちらが安全に交易品を運べたのか?の問題もある。

義経物語的には金を商っていた金売吉次(かねうりきちじ)が藤原秀衡に会えるよう仲介した話になっているが
こちらは下総国まで同行してから別行動を取った事になっている。陸奥国で再会。
彼の存在は弁慶同様、伝説の域を出ない。奥州の金を扱う商人はいたとは思うが。

酒田で日本海に注ぐ最上川中流の立川辺りに「弁慶の褌岩」(弁慶が褌を干した)があるのはご愛敬。
また、「語ってはならぬ」なので詳しくは書かないが、出羽三山湯殿山の御神体は自身の宗教的禁忌に触れない限り一見の価値はあると思う。
by rin_pr | 2017-05-18 11:31 | 神社仏閣 | Comments(0)