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カテゴリ:建築( 3 )

洋館


古い洋館の部屋は案外小さい。
住宅なら尚更コンパクトな造り、とでも言うべきか。
暖房が暖炉だけならそうなるだろうな、とは思う。
オンドルは発達しなかったみたいね。


旧三菱第2ドックハウス

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旧ウォーカー住宅

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旧長崎地方裁判所長官舎(現在はレトロ写真館)

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肝心の旧グラバー住宅は通り過ぎただけ、、、、
by rin_pr | 2017-01-25 10:17 | 建築 | Comments(0)

長崎は寒かった


どうやら平戸で妙に寒さを感じたのは風邪の前兆だったようで(既に博多で喉が痛かった・・・)
平戸から佐世保までバス移動、その後はJRで横目でハウステンボスを眺めながらひたすら寝ていたような気がする。
長崎に着いて速攻で熱が出て、丸1日ホテルで寝ていた。
すぐ近くに長崎ちゃんぽんの四海楼とコンビニがあって良かった・・・

気を取り直して、坂を上り、グラバー園。 ←ここだけ観光

旧三菱第2ドックハウス

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by rin_pr | 2017-01-24 10:50 | 建築 | Comments(0)

平戸城夕照


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平戸城主松浦(まつら)氏は始祖を嵯峨天皇の皇子(源融)に遡る、、、らしい。(出自については諸説あり。)
嵯峨天皇は嵯峨源氏の祖であるのは間違いないので(源頼朝や足利尊氏、新田氏などは清和源氏)子孫は多かったのだろう。
一説には23人の皇子がいてその内17人、数人の皇女が臣籍降下して源氏を賜ったと言う。(賜姓源氏)

松浦氏は松浦党(松浦四十八党)でもあり、武家の合議制の集団だった。
源平合戦のとき、松浦党は平氏側にいて操船していたようだ。
平清盛が開拓した瀬戸内海航路<音戸瀬戸航路など>の果てで平氏が滅亡したのは歴史の皮肉だろうか。
(瀬戸内海は難所なので航路としての歴史は案外浅い。古事記、日本書紀や神代記の時代はほとんど使えなかったハズ。)
元寇では最前線にいた松浦党の被害が甚大で、その報復や国内事情の為、倭寇となって高麗を荒らした。
李氏朝鮮になり、倭寇懐柔策が功を奏し鎮静化に向かう。

「倭寇」とは言うものの、日本人とは限らない。
(前期倭寇について記載されている広開土王碑には、日本から遠征したのではなく
朝鮮半島或いは高句麗に近い場所に拠点があったとしか考えられない記述があるらしい。
それが倭人なのか現地人なのか、混合なのかは不明。)

松浦史料博物館の説明によれば、
16世紀半ばに日本で良質な銀がとれるようになると、明系海商らが中核となる密貿易が活発になり、倭寇行為に及ぶようになった。
1540年代に倭寇の首領、王直(王鋥)が平戸に本拠を置き、平戸は西の都と称されるほどの繁栄を迎えた。
これは1550年のポルトガル船平戸入港のきっかけとなり、その後もオランダ船、イギリス船の平戸来航へとつながった、、、。

人形浄瑠璃や歌舞伎の「国姓爺合戦」の元になった「鄭成功」は平戸で生まれている。

そんな華やかな歴史を飲み込んで、今日も静かに日が暮れる。
by rin_pr | 2017-01-23 11:21 | 建築 | Comments(0)